弱音。(ヒューゴ×クリス)

「クリスさん」
「んー」
 強めに呼びかけてみても、返って来るのは生返事ばかりで。溜息をついたヒューゴは、ちらりと隣の人を眺めやった。
 普段はきりりとしている横顔が、酒精のせいで少しばかり緩んでいるような気がする。表情ばかりではなく、心の鍵が。
 とろんとした目つきはすでに、どこを眺めているものやら、怪しいばかりである。
「もう寝たら?」
「んー」
 とっくに眠くなっているくせに、まだ部屋に帰ろうとしないクリス。その気持ちはヒューゴにも良く解るものだが、だからといって酔い潰れるまで飲ませるわけにもいかない。
 クリスが飲んでいるのは、強い蒸留酒。ヒューゴは……オレンジジュース。
 幾らなんでも素面のヒューゴが、酔っ払ったクリスを自室まで送り届けるのは、物理的に難しい。

「ねぇ、クリスさんてば」
「んー」
 さらに強めの語気で呼んだものの、愛も変わらず生返事ばかりが返って来る。のみならず。
「…クリスさん…?」
 ことん、と肩に掛けられた重みに、思わず呼びかけてみたのの、返事は返ってこなかった。すうすうという規則正しい寝息だけが、ヒューゴの耳に届けられる。
「…しょうがないか…」
 心配事は数限りなく、それを片付ける人間の数は片手で足りるほどで。有能な彼女に負担がゆくのは、ある意味必然とはいえる。名ばかりの英雄であるヒューゴが、ある意味のんびりできるのも、クリスたちが働いているからだ。だからこそ、こうして肩の力を抜いたところを見せてくれるのは、少し嬉しい。
「…今日だけ、だからね」
 人気の途絶えたカウンターの隅で、ヒューゴは言い訳がましくそう呟いた。誘われるように、ヒューゴもゆっくりと瞼を閉ざす。せめて明日、謝罪ではなく感謝の言葉を笑顔つきで言ってくれるといいのだけれど。ヒューゴがなりたいのは『クリスを支えられる人間』であって、クリスに支えられる人間ではないのだから。
「おやすみ、クリスさん…」
 たまにはそんな、弱気な夜もある。